QRコードに囲まれて(前篇)

 わたしたちがQRコードを使うのはどんなときか、ということを考える。身近なところでいえば、LINEで新規友達を追加したり、対面しているひとのInstagramアカウントをフォローするときが思い浮かぶ。あるいは、購入したばかりのガスファンヒーターの所有者情報を登録したときには、添付の紙に印刷されているQRコードを読み取った記憶があるし、宅急便の再配達申し込みのときにはQRコードを読み取った。

 QRコードを読み取るのに昔はわざわざリーダーアプリを入れていたけれども、今はカメラを起動して画面内にQRコードを収めたら勝手に読み込んでくれる。もちろんQRコードにも種類があるし、格納できる情報も様々だけれども、わたしたちの生活世界ではあちらこちらにあの四角形のコードが見られる。

 あれはどうしてこんなにも重宝がられているのか、といえば、それは画面に写す/写されるだけで、一定の情報を受け渡すことができるからだ。写すことで移すわけである。思えばガラケーが跋扈していた時分には連絡先を赤外線通信で送りあっていたが、あれもわざわざボタンを押して文字を入力する代わりに端末同士を近づけることで代用していたのだろう。

 ところで、何十文字ものURLを入力するのは確かに手間だが、せいぜい十数文字に収まる程度のLINEやInstagramのIDでさえQRコードで代用しようというのには、実用性以上の何かがあるような気がする。流行っているから、というのはあるにしても、写すもの/写されるものとの、移す/移されるものとの距離の近さではないか、というのが私の仮説だ。

 LINEはコミュニケーションツールで、InstagramはSNSである。どちらも、ひととひととの繋がりにかかわるサービスである以上、どのようにひととひととが近づくか、遠ざかるか、ということに無関心であるはずがない。口頭でIDを伝えるのなら、数メートル離れていても可能だが、QRコードを読み取るとなったら、少なくとも半径1メートル程度には近づかないといけないし、自分のQRコードを表示したスマートフォンを相手に提示しないといけない。スマートフォンの画面を見せるというのは、ある種の想像的なパーソナルスペースを相手と共有するということだし、このような経験が「お近づきのしるし」になるのだと言える。離れていてもできる、ではなく、近くないといけない、ということ。離れることが可能であるということよりも、近づかないことが不可能だということ。これがポイントではないだろうか。

 EXQR現品照合で用いるQRコードは多くの情報量を格納しており、その確認の手間や、確認のし間違いを減らすことが目指されている。LINEやInstagram、Twitterと、狙うところは違えど、ある程度近づかないでは読み取ることができないというのは同じである。

 ここまで触れてこなかったが、PayPayのような決済サービスもQRコードを採用している。決済でのQRコードの使い方は、EXQR現品照合のそれに似ているといえるだろう。なぜならPayPayでは、決済という間違えてはいけないような状況において、確実に対象の情報を同定する必要があるからである。EXQR現品照合もまた、誤出荷防止という間違えを減らそうとするサービスであり、対象の品目を間違えずに照合するサービスだからである。

 さて、ここで気になる点が出てくる。どのようにして読み取りの確実性を担保するのか、ということだ。そこで次の記事ではQRコードが多少汚れていたり、角度が斜めだったりしても読み取れる理由を調べていく。

後篇に続く



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